リナ・ボ・バルディ : サンパウロ美術館(Museu de Arte de São Paulo Assis Chateaubriand|MASP)

©︎Leonardo Finotti
1947年に開館したサンパウロ美術館(MASP)は、ブラジルを代表する近代美術館であると同時に、都市と市民の関係を根本から問い直す文化施設です。1968年に完成した現在の建築は、リナ・ボ・バルディによる設計で、パウリスタ大通り沿い、かつてトリアノン神殿が建っていた敷地に建てられました。
この敷地には「低層部からのパノラマ景観をいかなる場合も遮らないこと」という厳格な条件が地元議会によって課されていました。リナはその制約を制限としてではなく、建築の可能性へと転換し、建物の中央を大きく割り、半分を地中に、半分を巨大な柱で持ち上げるという極めてシンプルかつ力強い構成を採用しました。こうして、都市の広場としての開放性を保ったまま、宙に浮かぶような美術館が誕生しました。
この敷地には「低層部からのパノラマ景観をいかなる場合も遮らないこと」という厳格な条件が地元議会によって課されていました。リナはその制約を制限としてではなく、建築の可能性へと転換し、建物の中央を大きく割り、半分を地中に、半分を巨大な柱で持ち上げるという極めてシンプルかつ力強い構成を採用しました。こうして、都市の広場としての開放性を保ったまま、宙に浮かぶような美術館が誕生しました。

©︎Leonardo Finotti
この計画は当初、美術館として構想されたものではありませんでした。しかし、設計から建設、運営に至るまでをほぼ一貫して統括したリナは、この土地が都市の記憶であり、市民のものであるという声に応え、敷地と建築を公共的・民衆的な文化の場として再定義しました。MASPは、作品を展示する場所であると同時に、文化が生まれ、議論され、共有される舞台として構想されています。
リナ・ボ・バルディがMASPで目指したのは、権威を誇示するような記念碑的な建築ではありませんでした。彼女が重視したのは、この建物が都市に生きる人々全体のための場所として、自然に受け入れられることでした。ブラジル北東部での経験を通して得た、人々の暮らしに根ざした感覚を手がかりに、伝統を装飾的に扱うのではなく、余分なものをそぎ落とすことで本質に近づこうとしました。リナはこうした考え方を、自ら「Poor Architecture(簡素な建築)」と呼んでいます。それは経済的な貧しさを意味するものではなく、文化的な気取りや難解さを避け、誰にとってもわかりやすい、率直な建築をつくるための姿勢でした。打放しのコンクリートや過度な仕上げを施さない構成、設備を隠さずに見せるつくりは、その考えを空間として表したものです。

館内の展示もまた、従来の美術館の常識を大きく覆すものです。作品は年代順に並べられることなく、重いコンクリートブロックの上に立つガラスのパネル・イーゼルに取り付けられ、空中に浮かぶように配置されています。鑑賞者は固定された動線に導かれることなく、作品の間を自由に行き来しながら向き合います。キャプションは裏側に置かれ、情報を得るためには身体を動かす必要があります。これは、鑑賞者に能動的な関与を促す仕組みであり、快適さや受け身の鑑賞に慣れた態度を前提としない、リナの明確な意思表明でもありました。週末に約3,000人が訪れるという事実は、この展示方法が多くの市民に受け入れられてきたことを物語っています。

建築の下部に広がる大きなヴォイド(空中広場)は、市民のための広場として構想された空間です。ここでは集会や議論、音楽や映像、子どもたちの遊びといった多様な活動が想定され、MASPは美術館であると同時に、都市の生活に開かれた公共の場として機能します。施工過程で生じた想定外の出来事や構造上の調整も、「受け入れられた出来事」として隠されることなく構造として残されました。完成度を整えることよりも、建築が生きた過程であることを大切にする姿勢がここにも表れています。
リナ・ボ・バルディは、MASPにおいて「美」を追い求めたのではなく、「自由」を求めたと語っています。知識人からの批判を受けながらも、多くの市民に支持され続けてきたこの建築は、平等な価値観や社会的な責任を、デザインを通して都市に提示する試みでした。サンパウロ美術館は現在もなお、建築がどのように人々と都市を結び直すことができるのかを問い続ける、開かれた文化の場であり続けています。

こうした思想は、建築や展示空間だけでなく、MASPのために設えられた家具にも一貫して表れています。写真(下)に写る「MASPチェア」は、1947年に開館した初期のサンパウロ美術館において、講演会や上映、集会などのために用いられた椅子として設計されました。
当時のサンパウロでは、こうした公共施設に適した近代的な椅子を既製品として入手することが難しく、リナ・ボ・バルディは自ら設計を行います。MASPチェアは、装飾を排した簡潔な構造と、積み重ねが可能な実用性を備え、限られた資源のなかで多くの人々が同じ空間を共有するための家具として考えられました。この椅子は、MASPの建築や展示と同様に、過度な主張を避けながら、場の機能を支える役割を担っています。美術館という公共空間のなかで、日常的に使われる道具として設えられてきた作品です。
当時のサンパウロでは、こうした公共施設に適した近代的な椅子を既製品として入手することが難しく、リナ・ボ・バルディは自ら設計を行います。MASPチェアは、装飾を排した簡潔な構造と、積み重ねが可能な実用性を備え、限られた資源のなかで多くの人々が同じ空間を共有するための家具として考えられました。この椅子は、MASPの建築や展示と同様に、過度な主張を避けながら、場の機能を支える役割を担っています。美術館という公共空間のなかで、日常的に使われる道具として設えられてきた作品です。
