Lina Bo Bardi

Lina Bo Bardi

リナ・ボ ・バルディ

1914 - 1992

イタリア・ローマ生まれ。

ジオ・ポンティのもとでキャリアを積み、アートディーラーであったピエトロ・マリア・バルディと結婚しました。その後、サンパウロ美術館の設立に招致された夫と共にブラジルへ移住します。家具デザイナーとしては、1949年にジャンカルロ・パランティとともに「スタジオ・ダルテ・パルマ」を設立しました。この工場はわずか2年間しか活動しませんでしたが、プライウッドやブラジル原産の素材を使ったシンプルな構造のモダン家具を製造しました。リナが初めて家具デザインを手がけたのは、1947年にサンパウロ美術館の講堂用に設計した椅子でした。

ブラジルでは「外国人」であり「女性」でもあったため、リナ・ボ・バルディは困難な時代を過ごしましたが、多くの建築作品を残し、建築とデザインの社会的・文化的可能性を追求する人生を送りました。

1951年、サンパウロのムルンビ地区に彼女の最初の建築作品となる自邸「ガラスの家」を設計し、家具も自ら手がけました。「ガラスの家」はリナの建築作品としての処女作であり、彼女が36歳のときに内装や家具も含めてデザインした自邸です。この住宅は傾斜地に建てられ、眺望の開けた方角には全面ガラスファサードを採用し、山側には伝統的なデザインの居室を配置することで、周囲の風景との一体感を生み出しています。これは、リナの作品に特徴的な「現代建築と土着的建築の融合」を見事に表現したものです。

建物を貫く一本の木を持つ中庭は、内外のバランスを取りながら、自然と一体化した建築を実現させています。この家からの眺めは開放感にあふれ、一面の大きな窓が屋外にいるような錯覚を生み出します。室内では、色彩が効果的に用いられ、タイルの質感やシンプルで多様な建具、夫ピエトロと共に収集した美術品や民芸品が調和しています。さらに、現在ではジャングルのように生い茂る植栽もすべてリナ自身がデザインしたものでした。建設当時は植生のなかった土地に、ひとつひとつ植えられたのは全てブラジル原産の植物でした。

ブラジル原産の熱帯植物を用いた建築デザインは、リナの特徴の一つでもあります。リナは単に植物が好きだっただけでなく、植物の種類を見分け、その特徴を語ることができました。植物への興味は生涯を通じて尽きることがなく、自然が環境のバランスを保ち、人類により良い生き方を教えてくれるという信条が、彼女の根底にありました。自邸の完成とともにリナはブラジル国籍を取得し、ブラジルで生きることを選びました。

リナは1973年4月と、1978年10月(それぞれ58歳と64歳の時)に日本を訪れています。1回目は京都を中心に、2回目は東京を中心に鎌倉や日光を巡り、建築や風景、食事、文化、そして人々との交流を楽しみました。建築家の丹下健三を訪問したとも言われています。リナは旅先で多くのスケッチやメモを残しており、この旅はその後の生き方に大きな影響を与えたことがうかがえます。リナが日本を捉える視点には、地理的に西欧から離れた独自の文化を持つブラジルとの共通点も含まれていました。

ブラジルの未来像を考え続けたリナにとって、独自の文化を守りつつ近代化を進める日本の姿は重要な参考例となりました。規格的でありながら多様な組み合わせが可能な畳や、日本の伝統的な建具のシンプルな美しさに以前から興味を持っていたリナは、寺院や日本家屋、鎌倉近代美術館を訪れました。この旅での経験は彼女のデザインにも反映されました。ブラジル帰国後、リナは「SESCポンペイア」の設計で、当初長方形だった窓の形を曲線を使った雲形に変更し、真っ赤な格子戸を設けたり、鎌倉の寺院で見た園路を歩道脇に取り入れるなどの工夫を施しました。1986年には自邸敷地内に木造で引き戸を採用した小さなスタジオを建て、周囲には多くの竹を植えました。

リナは1986年に改築されたサンパウロ美術館や「SESCポンペイア」など、多くの公共建築物を手がけています。また、イタリア・ミラノのNilufar Galleryが彼女に特集した展示を開催した影響もあり、コレクターたちからも注目を集めています。

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