Gianfranco Frattini

Gianfranco Frattini

ジャンフランコ・フラッティーニ

1926 - 2004

​イタリア・パドヴァ生まれ。

イタリアのデザイナー、建築家で、1950年代後半から1960年代のイタリアデザイン運動を作り上げた世代の重要なメンバー。1949年から1953年までミラノ工科大学で建築を学び、ミラノで建築家・デザイナーのフランコ・ベットニカとともに建築事務所を開設したのが始まりです。 1952年から4年間、ジオ・ポンティのスタジオで修行をします。 ポンティは彼の教授であり、指導者でした。フラッティーニは、家具や照明器具の選択肢が限られていることに気づき、工業デザイン事務所を設立します。

1954年、家具メーカー「カッシーナ」の創業者チェーザレ・カッシーナとの長きにわたるコラボレーションを開始します。このカッシーナとのコラボレーションをきっかけに、フラッティーニは家具のデザインに力を入れるようになり、ベルニーニ、アルテルーチェ、アチェルビス、ファントーニ、アルテミデなど多くの家具メーカーやデザイン会社とパートナーシップを築くようになります。1956年、フラッティーニは、当時の多くのデザイナー、アーティスト、評論家教師、ジャーナリストのためのデザインフォーラムであるADI(Associazione per il Disegno Industriale)を共同設立し、同年、建築家でデザイナーのフランコ・ベトニカとともにミラノのランツォーネ通りに最初の専門事務所を開設しました。
 
1950年代後半には、ミラノ・トリエンナーレの理事に就任し、生涯にわたってトリエンナーレに関わり続けました。また、ミラノの木工職人ピエルルイジ・ギアンダとは、木工芸の目利きとして、長く実りあるパートナーシップを築きました。フラッティーニは、人間的な面だけでなく、職人としても近い距離で仕事をし、製造の品質とデザインのストーリーに常に気を配るという彼の情熱を例証するものでありました。フラッティーニが残したもうひとつの専門分野であるインテリアデザインは、1960年代初頭のミラノで最もトレンディな社交場、特にコウノトリクラブとレストラン「St.Andrews」の背景を形成しています。彼の作品はコンパッソ・ドーロ賞で何度も言及され、ミラノトリエンナーレのメダリエ賞とグラン・プレミオ賞も受賞しています。

また、ポルトフィーノ、カプリ島、東京のヒルトンホテルの内装も記憶に新しいものです。雑誌「Domus」には定期的に作品が掲載されました。1988年にはピエール・カルロ・サンティーニが彼に重要なモノグラフを捧げています。フラッティーニは、そのキャリアを通じて、ミラノ・トリエンナーレや、ミラノ工科大学でマルチに活動していました。

2004年4月6日、ミラノで亡くなりました。

近代建築の巨匠といわれイタリアンデザインの原型ともいえる彼のデザインは、現在でも数多く残されています。1960年代に人気を博したフラッティーニのデザインは、近年、イタリアの家具メーカー、ポルトローナ・フラウによって復活し、ニューヨークタイムズのミラノデザインウィークのトップ10に選ばれています。その他、フラッティーニを象徴するデザインとして、1956年にアームチェア849として発表された「Agnese armchair」、有機的なフォルムとハイテクのシンプルさが融合したシーティングシステム「Sesann」(1970)。この2つのデザインは、タッキーニによってリバイバルされました。一方、アルテミデは、フラッティーニがリヴィオ・カスティリオーニとともに1971年にデザインした照明器具「Boalum」を再販しました。モダン照明の傑作といわれる「Boalum」は、ボアコンストリクターのフォルムに着想を得て、柔軟なプラスチックチューブでできており、テーブル、フロア、ウォール、シーリングランプとして自在に形を変えることができ、モジュールで拡張することも可能です。1970年代にはモダンなファインジュエリーのデザインも手がけ、その影響は現在でも明らかです。また、プロジェッティのためにデザインしたガラス製品は、現在、ニューヨーク近代美術館のパーマネント・コレクションに収蔵されています。

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